「一神堂」@河原町丸太町やや南 2005.11.21實食


初訪は夲年6月25日(土)。地獄の業火に燒かれる樣な暑さの中、店名を冠した「一神堂そば」を大汗をかきながら食したのだが、その時の印象をひと言で言へば「味がしない」。決してダシが取れてゐない、といふ譯ではないのだが、ダシではなくタレの味がただの塩味で、食べた後に全く余韻が殘らなかつたのだ。
もつとも、「タレ」と言ふと語弊があるかも知れない。「豚骨塩浅蜊」との説明書きがある此の「一神堂そば」は中華鍋でアサリを炒め、そこに豚骨ベースのスープをジユワアツと注ぐ、といふタンメンに似た作り方をしてゐるので、カウンタからは見へなかつたがタレに當たるものが最初から存在しない可能性が高いからだ。
その時はそれに加へて胡椒がキツく全てをマスキングしてしまひ、スープそのものを味はふ樣な状態ではさらさらなかつた爲、「まあ一囘食べとけばそれでいいや」とその後足を向ける氣にはなれなかつた。
しかし、某所で親愛なるラーヲタ、メツチヤ氏のレポートを見るに、「予想以上の内容」と。冩眞を見たら私が食べた時とは若干、違つて見へたといふこともあり、味の再檢証をしに行つて來た。


初訪時(2005/06/25)


今囘(2005/11/21)

前囘訪問時と今囘の冩眞を比較してみた。6月は昼間、今囘は夜間の撮影なのでレヴヱルの補正をかけてはゐるが、完全なる同条件にはなり得ない亊はお赦し願ひたい。
メツチヤ氏の冩眞では夏より油膜が分厚い氣がしたが、實際に比較するとはさほどの違ひは見られない。それよりも顕著なのはスープ表面の浮遊物が明らかに少なくなつてゐることだ。亊實、今囘は香辛料で味がマスキングされた印象はなく、スープの味がよく味はへた。
スープの味で變はつたところといへば、グルタミン酸系の旨味が強くなつたといふことだ。ただ單に化調の使用量を増やしたのかも知れないが、味のしなかつた前囘よりはこつちの方がはるかに美味い。この旨味によりアサリの旨味が生きて來て、全體としての味のバランスが大變良くなつたのは大いなる進化である。
ストレートの細麵は前囘と同ぢで麵自體の旨味を味はふ、といふタイプではないが、最後までヤワヤワにならづ食感は良く、スープによく合つてゐる。
具の炙りチヤーシウは前囘、スープ同樣味がしないことに閉口したものだが、今囘は細切りにされたチヤーシウの食感はなかなか良く、細切りの分だけスープがまとわり着いて味を補つてゐた。
トツピングのザーツアイに關しては、今ひとつその存在意義が希薄だ。きつちりと味に寄与出來るだけの量が入つてゐればもつと全體像が引き締まるかも知れないが、現狀ではただの箸休めに過ぎない。量を増やしてアサリと一緒に炒めるのも良いかも知れない。
この日は此のラーメンが夕食の全てであつたので味付け玉子をチヨイスしてしまつたが、やはりかういふテイストのラーメンにはイマイチ合はないので、どちらでも良い人は入れない方が良いだらう。

再檢証の結果、初訪時とは見違へる程のバランスを持つたラーメンに進化してゐた。
しかし、安心してはいけない。「一神堂」の元になる「東龍」では初期の頃あれだけ美味かつたスープが現在、見る影もなく凋落してゐるのだ。
・・・まあ「東龍」の場合は行列に對應する爲に大量生産や營業時間の延長をし、その結果味が落ちたのであらうから、それと同ぢ樣に一杯一杯中華鍋を振るつて作る「一神堂」の作り方を大量生産に變更するのは難しいことであらうが・・・


月 旧一的評價;☆☆〜☆☆☆。(2.8〜2.9くらいか?)