「新福菜館」@夲店 2005.05.05實食

當直明けの休日、歸宅の途中に朝食を攝りに立ち寄る。この時間帶に空いてるのんは嬉しひね。
「並」をちう悶。「麪かため」と言ふのんを忘れてたo(>_<,)o
どす黒ひスープの色がヤワひ麪に移つてゐるヴイジユアルは相變はらづ。またその色ほどにイムパクトのなひ、化調入りのあつさり味のスープも相變はらづ。しかし、それはそれできつちりと完成された味になつてゐるのだ。
しかしそれは此のスープに此の麪であるからこそ、の味であり、ここに滑りの良ひシコシコした多加水麪を持つて來てもスープが絡まなひであらうし、小麦の香り立つ自家製麪の店の麪とかだと違和感が募るのみであらう。


某MIG氏は麺が合ふ合はなひといふ意見は経験値の少なさか或ひは求める塩梅の違ひであると言つてをらるるが(id:ross-mig:20050511#p2)、私としては合ふ合はなひを感ぢなひのはその人の味に對する感性が欠けてゐるか、或ひは興味が無ひかのどちらかであらうと思ふ。勿論、どんなタイプの麪までは赦せるか、といふ許容範囲の閾値に個人差はあるだらうが、それを「塩梅の違ひ」だと言ひ切つてしまふと味の組み合はせや相性に關する話の全てが成り立たなくなつてしまふ。
極端な例を擧げると、ラーメンの麪のかわりにうどんを持つて來たらどうだらうか。「新福菜館」のスープにうどんならまだ違和感は少なひであらうが、例へば「無鉄砲」の濃厚豚骨スープにうどんを入れてみて、それでも「求める塩梅の違ひ」だと言ふことが出來るであらうか?
私も麪の太ひ細ひだけでスープとの相性を語るのは全く無意味だと思つてゐる。しかし、加水率等による食感の違ひもふまえると、あるひとつのスープがあればそれに合ふ麪のポイントといふものは確實に存在する。
そのポイントを外れた麪を「相性が惡ひ」と評することを躊躇ふ必要はどこにもなひ。

ちと話がそれてしまひますたが・・・
月 旧一的評價;☆☆。