「伊藤」@豊島中央商店街 2005.04.03實食

今囘の東京紀行の最後の〆として當初より豫定していたお店。「量が少ない」といふことなので、滿腹状態でも何とか入るであらう、といふこともあつたしチヤーシウ拔きの「そば」といふメニウがあるのも有難い。
豫定外の「大勝軒」が消化し切れてなかつたので、夲來なれば驛から歩いた方が良かつたのであらうが、病み上がりの行軍にいささか疲れてゐたこともあり、タクシーを拾う。「商店街の中」と聞いてゐたのでアーケード街を想像してゐたが、實際は店の前まで車を乘りつけることが可能であつた。
「そば」を ちう悶 www

量が少ないと聞いてはゐたが、實際に少ないのんはスープのみ。こんもりと頭を出した麪の量は普通のラーメン一杯分はありさうだ。
スープをひと口。
「ニガヱグひ!」
・・・と、某ずりせん大王アーレフ師なら確實に叫ぶであらうほどの魚系ダシ。・・・いや實際、そのテのダシには免疫のある私ですらもニガヱグく感ぢられた程のガツン!!度で、オマケに煮干の魚粉がふりかけられてゐるのだからその凄まじさたるや!!
果たして、ここまでする必然性があるのであらうか?確かに、この魚ダシの濃厚さはひとつの個性ではあらうが、それにしても ものには限度といふものがある 。某MZ氏のペーヂでは「動物系がしっかりと出ていて」とあつたが、さういふ味も全て煮干でマスキングされてをり、少なくとも私には全く感ぢることは出來なかつた。
また、何かの加減で魚の生臭さが時折顏を出すのがかなり氣になる。ダシ單體としては苦さ、ヱグさが出てしまつてゐて生臭いといふことは、即ち 失敗作 である。元天氏が以前言つてをられた「繊細さ」などは微塵も感ぢられない。
麪は芯を殘した硬めの茹で上がり、「シコシコ」といふよりは「ポキポキ」した齒應へである。「噛む」ことに重点を置いたかの樣な麪は、冩眞で見るとかなり滑らかさうであるが實際は表面が少し粗く、スープとの絡みはまずまずであつた。此の麪の食感はどこかで食べたことがあるぞ・・・と、記憶を辿れば「ツバメ」@西宮の「中華ソバ」のストレート麪の方だ。此の食感は苦手な方もをらるるかも知れないが、私個人としては絶賛こそ出來ないもののかういふのんもアリかな、とは思へる。
此の店で私が理解出來ないのはそのダシの方向性である。先程 「失敗作」 と書いたが、わざとさういふダシにしてゐるとしか思へないフシがあるのだ。此のスープを洗練の方向に持つて行き、少なくとも生臭さとヱグさを控へれば、遙かにまとまりがよくなるであらうに、それを意圖的にハズす理由は何なのだらう?ただ客にイムパクトのみを与へる亊のみが目的なのだらうか?・・・いや、單に私の讀み過ぎで、 ただの失敗したスープだつた 、といふ可能性もあるが(笑)
ただ面白いのは、全部を食べ終わつた際の感覺は「スキーリ・サパーリ」であつた、といふことだ。食べてゐる最中にニガヱグさにも段々慣れて來るし、スープの絶對量が少ないので後を引かないのであらうか。

「また行きたいか?」と訊かれると「?」ではあるが、「また行つてもいいか?」なら「行つてもいいかも」位の感覺である。

月 旧一的評價;★★ +0.5。