背番号1の投手はいばらの道

「ロッテ大嶺 背番号1/契約金1億円で合意」
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200611161300_02.html
久々に背番號1の新人投手が出た。
「背番号1は高校野球エースの番号で愛着がある」とは純朴で良い。しかし、嘗て球界で背番号1を背負つた投手は23人いるが、そのうち3名は打者転向、6名が1年のみで引退又はトレード、9名が後に背番号変更されていることをお忘れなく。

【12球団・背番号1の投手(太字は入団時に背番号1)】

・巨人
王 貞治  :1959年入団時から1988年退団まで
巨人唯一の投手で背番号1であつた王貞治氏は、1年目のキヤンプ中に打者転向。

阪神
梶岡 忠義 :1950年、18→1 に変更。たつた2年間で1→3 へ変更。
西尾 慈高 :1954年入団時から4年間で1→28 へ変更。
野田 浩司 :1988年入団時から3年間で1→18へ変更。
中込 伸  :1995年、99→1 に変更。6年間で1→55 へ変更。
谷中 真二 :2001年5月、シーズン中に移籍→2003年オリツクスへ移籍するまで3年弱の間背番号1。
野田投手は入団時から3年間背番号1であつたが、1990年オマリーに譲る形で18へ変更。
中込投手は1番に変更されてから6年間1番をつけて、彼の大きな背中に1番は少々窮屈そうな感ぢがしてはいたものの、そのまま現役を全うするのかと思つていた。しかし2001年、1→55 へ変更となり、これで阪神で背番号1をつけた投手は4人続けて背番号が変更されてしまう、という羽目になつてしまつた。
阪神で初めて背番号1を全うした投手は移籍の谷中。しかし、シーズン中に移籍での1番で、その後も移籍での退団となつてしまつた爲、殘念ながら彼自身の背番号として認知されたとは言い難い樣に感ぢる。

・中日
丹羽 淑雄 :1936年入団、同年引退
大沢 紀三男:1947年東急から移籍・外野手から投手転向し1948年引退
近藤 真一 :1988年13→1 に変更。4年間で1→13 に再変更。
中日の背番号1は途中20年間も1番を背負つた高木守道氏がをられたこともあり、1リーグ時代の丹羽、大沢両氏以來、長らく投手がいなかつた。1987年、プロデビユー初登板をノーヒツトノーランで飾つた近藤真一投手は翌88年より1番を与へられたが、その2年目こそ8勝を擧げたものの、故障もあつてそれ以降は1勝も出來づ、1番を4年間つけたあとは1992年からまた13番に戻されている。

・ヤクルト
※投手が背番号1をつけた記録なし

・広島
野崎 泰一 :1953年23→1 に変更。同年引退・コーチに
大久保美智男:1979年入団時から4年間で1→38 へ変更
広島でも1番は1リーグ時代に野崎 泰一投手が1年間つけただけであつた。1979年ドラフト2位で入団した期待の星、大久保美智男投手が入団時に背負つたが、一軍では1勝も擧げられぬまま野手転向。転向後の初打席でホームランを打つた樣な記憶があるのだが、3年後の1985年終了時に自由契約となつている。

・横浜
岩本 信一 :1950年南海から移籍して1年間のみで松竹へ移籍

オリックス
 (旧阪急)
宮武 三郎 :1936年入団・投手兼内野手。3年で引退
加藤 伸一 :1999年広島から移籍。3年で2001年近鉄へ移籍
戎 信行  :2002年65から変更。同年シーズン中ヤクルトへ移籍
 (旧近鉄
鈴木 啓示 :1966年入団。30年間つけ続け、1985年引退を機に球団初の永久欠番に指定。

・西武
大矢根 博臣:1961年中日から移籍して2年間で引退。
名取 和彦 :1981年開幕直前に南海から移籍して1年間のみで13へ変更。
この名取投手の背番号は1982年に西武の鹽督となつた広岡達朗氏が「1番と3番は將來、王、長嶋の樣な選手が育つた時の爲に空き番号にしておく」との方針での変更。

・ホークス
後田 二郎  :1947年入団。1年間のみ
安田 昌雄  :1949年入団。1年間のみ
金 永徳   :1956年入団時から5年間で1→20 へ変更(※途中、金彦任重に改名)

千葉ロッテ
愛甲 猛   :1981年投手として入団。3年間で内野手転向。
チーム唯一の背番号1を背負つた投手・愛甲氏であつたが、入団當初の予想通り(?)3年間つけた後に1984年打者転向。

北海道日本ハム
米川 泰夫  :1949年入団。1年間のみで1→19 へ変更

この中で入団時に背番号1を貰つたのは12人である。そのうち1リーグ時代の丹羽淑雄氏、後田二郎氏、安田昌雄氏の3名は1年間のみで引退。それを除くと背番号1の投手として現役を全うしたのは鈴木啓示氏唯一人であり、王 貞治氏、大久保美智男氏、愛甲 猛氏の3人が打者転向(大久保氏は同時に背番号変更)、西尾慈高氏、野田浩司氏、金 永徳氏、米川泰夫氏が背番号変更。神宮のスターで野球殿堂入りもしている宮武三郎氏は3年間つけていたが、投手兼内野手であつた。

はてさて、大嶺祐太投手は何年間、背番号1の投手として投げ続けることが出來るであろうか?先づは先輩の愛甲氏の3年が目標か。

※2013年11月01日追記

やはり例に倣つてか、大嶺投手も1番を着けたのは3年間で、2010年より11番に變更になりました(^o^)b